eスポーツは、世界的な主流スポーツに至るドアを叩いているところです。どこが始まりだったのでしょうか? ここでは、数多くのトーナメント主催者と数多くのビッグタイトルの始まりを含め、eスポーツの歴史をざっと見ていきます。
eスポーツの始まり
対戦ゲームの歴史は、かなり初期のコンピューターとアーケードゲームにまで遡ります。両者は黎明期にあってさえ熾烈な争いを生み出していました。得られるものは勝ち誇る権利だけで、プレイ数は多くありませんでした。しかし、戦いは激しいものでした。大会が開催されるようになるまで、長くはかかりませんでした。
しかし、eスポーツが初めて主流の地位を味わったのは、1998年にStarCraftというreal time strategy(RTS)ゲームが出てきた後のことでした。
最初のeスポーツイベントとして広く認識され称されているイベントが、1972年にスタンフォード大学で開催されました。Spacewar!というゲームでした。米国の大学で幅広いグループが見たのは、イベントのスポンサー雑誌Rolling Stoneの提供による、雑誌の購読をかけた24人のプレイヤーの戦いでした。
Atariも、評判の高い自社製品Space Invadersを使って大会の運営に挑戦し、1980年の全国大会で10,000人を超える参加者を魅了しました。ニューヨークで開催された決勝をRebecca Heinemanが制し、後に彼女自身がゲーム開発者になりました。
公式の競技大会は90年代になるまで正式に始まることはありませんでしたが、チャンピオンシップは、とりわけBlockbusterや任天堂などの企業により、大会の最初の試みとして開催されていました。1981年になると、Twin Galaxiesという組織が作られました。この団体は、アーケード路線の大会を思い出させる数多のゲームの記録保管組織として活動しました。
1990年代と成長の始まり
1990年代には、eスポーツが急激に成長しました。現在最も人気のあるゲームの種がしっかりと植え付けられました。莫大な数の対戦型コンシューマーゲームが登場し、今日まで愛され続けるストリートファイター 2や、空前のヒット作Doomなど、多数のゲームがデビューしました。First Person Shooter(FPS)は、LAN(ローカルエリアネットワーク)で大会を開催した最初期のタイトルであり、ここでマルチプレイヤーゲームが実現しました。
90年代の最初は大会への動きもゆっくりでしたが、中盤にQuakeがリリースがされるとFPSコミュニティが活性化し、eスポーツ界の最初のスターの1人、Johnathan 'Fatal1ty' Wendelが姿を現しました。しかし、eスポーツが初めて主流の地位を味わったのは、1998年にStarCraftというreal time strategy(RTS)ゲームが出てきた後のことでした。
1999年にリリースされたCounter-Strikeは、20年間のイテレーションを通してeスポーツの上位主力となっています。
StarCraftの人気の理由は、ゲームで勝つために必要なスタイルやスキルが多様であることでした。FPSゲームでは目標を捉える正確なコントロールや素早い反射が求められたのに対し、StarCraftではチェスのように戦略や論理的思考が求められたのです。種族ごとに異なるミニオンや部隊がいて、考えられる戦略が無限にあることで、競争に本当の深淵が生まれました。主に韓国を拠点としていたことから、この国がeスポーツの中心地の1つとして知られるようになり、ゲームのトップ選手の大多数が誕生しました。
1996年には、カリフォルニアで、Evolution Championship Series(EVO)も始まりました。これは、Battle by the Bayというオリジナルタイトルの大会でした。このトーナメントは、今では格闘ゲームコミュニティの主要な存在になっていますが、最初はオリジナルのアーケードゲームとして始まり、40人を超える参加者が2つの異なるバージョンのストリートファイターをプレイしました。EVOはその後、カリフォルニアから、ラスベガスのマンダレーベイリゾートに場所を移しました。最近では、最新のストリートファイターのタイトルから大乱闘スマッシュブラザーズまで、8種の異なる格闘ゲームを扱っています。
1997年には、eスポーツのパイオニアの1つとして知られたCyberathlete Professional League(CPL)が創設されました。2008年までの期間ずっと、数多くのイベントを開催し、長年に渡り、3,000,000ドルを超える賞金を授与しました。この時、CPLのイベントにおけるビッグタイトルだったのがQuakeシリーズでした。トーナメントシリーズのスターの1人として、Jonathan ‘Fatal1ty’ Wendelが現れました。Fatal1tyは結局、スポンサー契約を結ぶ前に、キャリアを通して50万ドルを超える賞金を稼ぎ、彼自身のeスポーツのアクセサリーブランドを出すことまでしました。
1999年は、FPSというジャンルが台頭し続け、Unreal TournamentとCounter-Strikeがリリースされました。後者は、元々はHalf-Lifeのmodでしたが、20年間のイテレーションを通してeスポーツの上位主力となり、千年紀の変わり目でも隆盛は続きました。
2000年代とeスポーツの急展開
2000年代には、全世界でインターネットとパソコンが多くの家庭に普及し、これを通して大会が発展しました。World Cyber Games(WCG)とElectronic Sports World Cup(ESWC)が2000年に始まり、ともに年間イベントとなりました。これで、次の10年におけるイベントの全体的な傾向が定まりました。
2002年にSundance DiGiovanniとMike Sepsoが立ち上げたMajor League Gaming(MLG)は、この時期最も成功したトーナメント組織の1つになろうとしています。2006年には、北米初のテレビ放映eスポーツイベントも開催し、ここでHalo 2リーグが登場しました。MLGはCall of Dutyのイベントを開催していることでよく知られるようになり、2016年、フランチャイズパブリッシャーのActivision Blizzardに買収されました。
Atariも、評判の高い自社製品Space Invadersを使って大会の運営に挑戦し、1980年の全国大会で10,000人を超える参加者を魅了しました。
DreamHackは2000年代に伸び始めました。スウェーデン最大のLANパーティという立場から、スウェーデンのヨンショーピングにあるElmia Exhibition Centreで夏と冬に開催される2大イベントに移行しました。年2回のイベントだけを何年も続けた後、DreamHackは最終的に、複数のタイトルで年にいくつものイベントを開催するまでに発展しました。
またESLも、そのルーツは90年代の終わりにあるものの、2000年代に組織されました。この企業は、母国ドイツでのイベント開催から始まり、世界中に進出しました。2007年にはIntelと、Intel Extreme Mastersを開催することで合意し、この企業はさらに別のレベルに達しました。最初のエディションは、ハノーファーのCEBITで開催されました。Counter-StrikeならびにRTSのタイトルWarcraft IIIが、トーナメントのデビュータイトルでした。
eスポーツは、さらにテレビでも動きがありました。2007年、DirectTVの Championship Gaming Series(CGS)が始まりました。このトーナメントには、世界中のさまざまな都市の名を冠したフランチャイズがあり、各フランチャイズが4つのゲームでチームとプレイヤーをホストしていました。大会は2シーズン開催されました。2008年に終了するまで、ロサンゼルスのトレジャーアイランドでイベントが行われていましたが、奇妙なことに、第1シーズンのプレイヤードラフトは、LAのプレイボーイマンションで開催されました。
2010年:急成長
次の10年で、eスポーツは最も大きな成長を見せました。Twitch.tvが2011年に始まると、これによってイベントの視聴率が大きく上昇しました。それ以前は、ファンはオンラインのラジオサービスやゲーム内の配信ツールでトーナメントに波長を合わせる必要がありました。Twitchによって、観衆はウェブサイトを閲覧して試合を見ることができるようになり、リーグ・オブ・レジェンドやDota 2などの視聴率を爆発的に上げることとなりました。
リーグ・オブ・レジェンドは、リリースは2009年でしたが、成長が正確に見え始めたのは2010年代の初期でした。このゲームにおける最初の大きなトーナメントは、IEMイベントで行われました。ただし、シーズン1から始まる独自のプロリーグの決勝は2011年のDreamHack Winterで開催され、その翌年からは自己開催で続けられています。それ以来、LoLは自身で一連の大会を開催してきました。年間シーズンにはさまざまな地域で行われる2つの「スプリット」があり、各年の終わりにWorld Championshipsが開催されています。LoLのパブリッシャーであるRiot Gamesは、最近、ゲームにフランチャイズ制を導入すると発表しました。ヨーロッパと北米では長期的なパートナーがリーグに参加しています。
Dota 2は2011年にリリースされ、リーグ・オブ・レジェンドと同じMOBAというジャンルであるにもかかわらず、eスポーツの世界で、注目度の高い3大ゲームの1つとして、何とか自分の場所を切り開きました。世界中でプレイされていますが、Dota Pro Circuitを運営するパブリッシャーのValveにより、トーナメントはセミオープンサーキットで運営されています。年間を通し、あらゆるメジャートーナメントとマイナートーナメントで付与されるポイントにより、シーズン最後のThe Internationalへの出場資格が決まります。このイベントでは通常、eスポーツのあらゆるゲームの中で最大の賞金総額が誇示されます。2018年エディションでは、賞金として25,532,177ドルが支払われました。
ESLは2000年代に組織されました。始まりは小さなものでしたが、2007年にIntel Extreme Mastersを開催することでIntelと合意した時、この主催者はさらに別のレベルに達しました。
StarCraft 2は、1998年に出たタイトルの続編で、2010年にリリースされ、eスポーツにおけるフランチャイズの地位を再構築しました。このタイトルについては韓国に優れた人材が多いことが広く認識され、その点で有名なeスポーツのタイトルとなっていました。長いことトップの地位にあり、視聴率を争う相手もあまりない状態でしたが、ゲームはスケジュールが詰まっていることで知られるようになり、過飽和について話す時に引用される人気ゲームの1つになりました。ゲームはまだ現在も続いていますが、もう、かつてのようなトップの地位にはありません。
Counter-Strike: Global Offensiveは、2012年にリリースされました。このタイトルで、Counter-Strikeがeスポーツにおけるビッグタイトルの1つであった理由を多くの人が思い出しました。素晴らしい戦略的FPSゲームのシリーズ最新作は、出足はゆっくりとしたものでしたが、2013年、ゲームでスキンが使えるようになる「Arms Deal」アップデートが出されると、eスポーツとしての人気が爆発しました。それ以降、Valveはオープンサーキット方式を守り続けており、年間を通して数多くのサードパーティ企業がゲームのイベントを主催しています。Valveは、毎年、イベントごとに賞金総額1,000,000ドルを提供する2つのメジャー大会を主催しています。ゲームの年間スケジュールで頂点に立つイベントです。
2016年には、Overwatchが始動し、Activision BlizzardがOverwatch Leagueについての発表を行いました。これはeスポーツ初の、フランチャイズによるメジャーリーグでした。このゲームで、かなり大きな額の投資がeスポーツに流れ込みれました。新しいチームオーナーと並んで新しいスポンサーが現れ、外部のソースから大会へ資金が調達されることになりました。最初のOverwatch Leagueは、2018年に開催され、Cloud9が所有するLondon Spitfireが最初のトロフィーを掲げました。
2010年代には、全般的に、多額の投資も見られました。注目に値する例としては、ともに2015年にModern Times Group(MTG)に買収されたDreamHackとESLなどが挙げられますし、2014年にはTwitchがAmazonに買収されました。またチームについても、過去数年で、大規模な投資や買収がありました。北米でスポーツチームを所有する多くのオーナーや大手ベンチャーキャピタルファンドが、特にFnatic、Cloud9、Envy、OpTic、Liquid、NRGなどに関心を寄せています。
ベッティングの未来
さらに近年は、PLAYERUNKNOWNのBattlegroundsがきっかけとなり、Battle Royaleというジャンルが登場しました。Fortniteがリリースされ、無料プレイモデルのおかげで世界中で主流の成功作となるまで、長くはかかりませんでした。ゲームの成功からそれほど経たないうちに、開発者のEpic Gamesは、トーナメントカレンダーに賞金総額100,000,000ドルを提供すると宣言しました。
eスポーツがこれから向かう先は、誰にもわかりません。あるスポーツが急速に発展すると、タイトルとジャンルは計り知れないくらいに広がりますが、同時に他のゲームの人気が下がります。トーナメントでは視聴率と賞金総額が上がり続け、大会をとりまく全体的な文化が浮かび上がってきています。